介護

【親の介護2】圧迫骨折からの在宅リハビリを用意する【寝たきりにさせない】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

リオオリンピックのメダルラッシュで日本中が歓喜の渦に包まれる中、わたしひとりが暗黒世界に取り残されたような、恐怖と孤独の4週間を過ごしていました。

朝、目が覚めると、また地獄の1日が始まる。絶望的な気持ちになり、重たい心と体を持ち上げて犬にご飯を食べさせる。お昼まで寝るか家事を済ませ、犬のトイレを片付ける。犬がわたしに元気をくれる。

2時の面会時間までに起きて、母の着替えを持って病院に行く。ベッドに寝たきりで動けない母を見て、不安発作を起こしながら家路につく。夕方まで倒れて動けない。夜、犬にご飯を食べさせる。わたし、睡眠薬で無理やり寝る。

食物は食べられません。1日にカロリーメイトの缶を1本飲むのがやっとでした。カップヌードルが1個食べられたら御の字です。落ち着いたはずの吐き気と不安発作に毎日襲われ、連日の熱帯夜と疲労で眠れず、睡眠薬を4種類カクテルで飲んで無理やり寝逃げするしかありませんでした。

母は少しずつ回復していきました。圧迫骨折の治療はとにかく安静です。横になったまま小さなおにぎりを食べていたときは、誤嚥性肺炎にならないかと不安でした。尿の管が抜けたときの喜び、コルセットが出来た、血栓予防の加圧ソックスが脱げた、看護師さんに付き添われトイレまで歩行器で行けた。

目に見える回復は、わたしのメンタルの支えでした。しかし戦っているのは圧迫骨折だけではありません。入院が長くなるほど、認知症の症状も日によってわかるようになりました。

母の主治医は4週間からリハビリを含めて6週間の入院が必要と言われました。正直わたしは2週間で精神的に限界でした。3週間目は食べていないのでフラフラです。4週間目は体の痛みとがんの再発に怯えるようになりました。

わたしは4週間で母を退院させることにしました。

主治医の退院条件は、週2回のリハビリに外来で通院することと、室内は車椅子で移動することでした。すぐにケアマネージャーに連絡しました。しかしケアマネージャーの答えは、週2回車椅子でリハビリに通うというのは現実的ではないというものでした。

それでも、とにかく母を家に帰らせたい。在宅でできることは全部してやりたい。その一心でした。

ケアマネージャーに相談して、ベッド脇にポータブルトイレを置き、ベッドには手すりをつけ、宅配のお弁当を頼み、社会福祉協議会から車椅子を借り、介護ヘルパーも毎日来てもらえるように3社から頼みました。

往診の整形外科の先生と相談して、在宅リハビリの理学療法士とマッサージ師を紹介していただき、それぞれ週に1回来ていただくことにしました。これで週2回の外来リハビリには行かなくていいんじゃないですか、という担保をつけるためです。

2016年8月15日(月)、母の退院のため、ヘルパーさんと病院に行きました。母の主治医は条件とした外来リハビリの予定を入れていないばかりか、次回までの薬すら用意していませんでした。あげくに医師本人は外来の手伝い中と言われ全くつかまりません。やはりこのスパゲティ野郎に6週間も任せなくて良かった。一刻も早く退院させないとわたしのほうが倒れそうでした。

母が退院して家に戻ってから、しばらくは認知症との戦いでした。

しかし、4回の圧迫骨折の4週間の入院で、結局無理やり退院させたようになってしまいましたが、寝たきりになるのは回避できました。

今も家の中ならスイスイ歩けるようになりましたし、在宅リハビリを続け、天気の良い日には理学療法士の先生と歩行器で外に出て、歩く訓練をしています。ポータブルトイレも夜間だけ使うようにして、普段はトイレまで普通に歩いて行きます。

母と犬と静かに暮らせればそれだけでいい。

そんなささやかな願いにも老いは容赦なく牙を向きます。

今年の4月17日(月)、母を脳梗塞が襲いました。

発見が早かったので、数日の入院で自宅に帰ってきましたし、自力で部屋の中を歩いています。このときの話はまたいずれ書くことにしましょう。

ともあれ、2016年8月29日(月)わたしは抗がん剤治療を再開するため8週間ぶりに入院しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。