がん治療

【わたしと卵巣がん3】抗がん剤治療再開から再手術決定まで

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2016年8月29日(月)、あんなに苦しかった化学療法でしたが、この日入院して主治医に点滴のルートを取ってもらいながら

「やっとここに戻ってくることができました」

と、ホッとした思いで話したことを覚えています。

主治医は母の様子が落ち着くまで

「手術する気にならないなあ」

と言っていましたし、わたしも母がほぼ寝たきりの状態からだんだん歩けるようになり、リハビリとマッサージのおかげで、家の中ならゆっくり移動できるようになったり、車椅子でデイサービスに行けるまで回復していくのを見ていると、わたしの手術で心配をかけるのは可哀想だと思っていました。

でも、抗がん剤が効いて縮小したとはいえ、卵巣がんは確かにわたしの体の中にあるのです。

さらに数回の治療を続けていましたが、腫瘍マーカーの数値がだんだん上がってきました。

マーカーの値が24になった昨年の冬に、年明けの手術が決まりました。

主治医は、PCの中のCT画像をクルクルと回し見ながら

「これを取りに行きたいんだよなあ」

「子宮は防波堤として残しておくから」

「あとでエーッ! と言われないように先に行っておくけど、開けてみて取れないこともあるから」

「お腹の中にプツプツしたニキビみたいのが見えたらそのまま閉めちゃうから」

と言われました。
ショックでした。
でも仕方ないと思いました。

わたし「じゃあ、手術ができて無事切れるように祈るしかないってことですか」

主治医「そういうことだね」

わたし「手術当日は誰かが立ち会わないといけないんですよね。うちの親は無理だと思うんです。前回の手術のときにも先生の話聞かないでヘルパーに任せて逃げちゃったし」

主治医「意思の疎通ができない人に話しても仕方ないでしょ」

わたし「そうですよねえ…。手術の説明されてもたぶんわかんないと思います」

主治医「友達でいいよ。手術当日は誰か来てもらわないと。手術説明の日はあなた1人でいいから」

わたし「友達に連絡してみます!」

家に帰って大阪在住の友達に電話をしました。中学1年生からの友人で、結婚してご主人の会社が大阪にあるため、関西に住むようになりました。彼女だけにはメールでわたしの病状を知らせていたので、真っ先に頭に浮かんだのです。しかし、大阪在住ということもあり、断わられても仕方ないと思っていました。また、手術が決まったことが嬉しくて、一番に報告したい人でしたし、電話で彼女の声が聞きたかったのです。

彼女に事情を話すとすぐに了解してくれました。むしろ手術の日以外にも面会に行こうかと言ってくれました。わたしは大阪から東京の病院に呼ぶだけでも大変なので、手術の日の午後だけでいいよと頼みました。

彼女との電話を切って、主治医に「手術の立会人が決まりました」と連絡しました。

がん患者になって思うことは、告知を受けて、自分自身がん患者であることを受け入れるのが大変なように、周りの人々も同じようにショックを受け、苦悩するということです。

関係が深いほど、自分の痛みを、同じように感じてくれる人がいるということです。

もしかしたら肉親とか、恋人とか、友人とか、あまり関係ないかもしれないです。表現の方法もその人によるので、既に心の余裕を失っている患者から見たら、わかりにくかったり、誤解して受け取っている場合もあると思います。

日本人の2人に1人が、がんになる時代ですが、知り合いからがん患者なのだと聞かされて平気な人などまずいません。

わたしは手術が決まるまでの1年弱の間、がんの陰に隠れていました。人との交流を避け、テレビを見ても内容が入ってこないし、Twitterも見たくない、ストレスを溜め込んで、食べ物も喉を通らず、1日1日生きてるだけで精一杯でした。

そんなつらさを唯一相談できたのが大阪の彼女だったのです。

彼女の立ち会いの元、わたしは2017年1月20日(金)に再手術しました。

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