御朱印

【御朱印】築地の波除神社で重陽の節句を体験する

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新橋の烏森神社で御朱印帳を買ってから、次に御朱印をいただくならどこの神社がよいだろうかといろいろ考えました。一応ですね、御朱印入門のような本も購入しまして、神社の基本や参拝方法なども軽くおさらいしておきました。

その本の中で「荒波を乗り切るパワーを授かる」「困難にぶつかったら、マスト参拝」と書かれていた、築地の波除神社に行ってきました。なにしろ昨年からこのかた、波乱万丈、艱難辛苦、人生の荒波にもまれていますから「災難を除き、波を乗り切る」波除神社のご神徳はわたしにぴったりというわけです。

市場橋の信号から築地場外市場の賑わいを左手に、築地魚河岸の小田原橋棟・海幸橋棟を右手に見ながら、波除通りを直進した奥に波除神社があります。まず目に入るのは、鳥居の高さの倍はあろうかという大きな木です。これは波除神社のご神木である枝垂れ銀杏です。鳥居を包むように鬱蒼と茂る青葉は遠目にも迫力があります。
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わたしが行った日は9月9日、重陽の節句でした。このように鳥居に五色幕を飾るのは五節句行事のときだけだそうです。寺院などでみられる、紫、白、赤、黄、緑色の幕に加えて、波除神社では青海波を示す、青色に裾を白色でぼかした幕を左右に2枚づつ使って囲み、風にたなびく風情を表現しているそうです。その他の色の意味は寺社によって違うのでしょうが、陰陽五行にあてはめれば、水、金、火、地、木、でしょうか。華やいだ雰囲気が伝わってきます。それから、わたしはここで初めて走るターレット(ターレット式構内運搬自動車、通称ターレ)を見ました。

【波除稲荷神社の由来】
4代将軍家綱の時代、海であった築地の埋め立て工事は難航していました。激しい波が打ち寄せ、堤防を築いても何度も流されてしまいます。萬治2年(1659)のある夜、海面を光を放って漂うものがありました。人々が船を出してみると、それは稲荷大神の御神体でした。このご神体を祀る社殿を作り、お祭をしたところ、波も風も静まり、無事に埋め立て工事が完成しました。人々は稲荷大神に「波除」の尊称を奉り、雲を従える「龍」、風を従える「虎」そして一声で「龍虎」を威服させる「獅子」の巨大な頭が数体奉納されました。

稲荷大神を本社として祀っているため、ただしくは波除稲荷神社なのですね。鳥居に一礼して神社の中に入ります。右側に獅子殿があります。
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獅子殿に鎮座している「厄除け天井大獅子」は、江戸時代から厄除け・災難除けの象徴として広く信奉されていましたが、江戸末期に焼失してしまいました。現在の大獅子は平成2年に再興され、樹齢約三千年の黒檜(ねず)の原木が用いられているそうです。

願いを書いた「願い串」をこの天井大獅子の収め籠に納めて念じると、願い事を大獅子様がのみこんで、叶えていただけるとのこと。願い串は神職の方が毎月、納めた人全員の住所と名前を大獅子様に申し上げ、願いをお叶えくださるようにお祀りしているそうです。頭に大きな金色の角があります。こちらは雄獅子になります。
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左側には「お歯黒獅子」があります。こちらは福徳の神様、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。この神様は俗に弁財天と称されるため弁財天社と呼ばれ、波除神社の摂社になります。水に縁がある神様ということで手水舎を兼ねています。中に鎮座しているお歯黒獅子の頭の上にある宝珠には、弁財天・市杵島姫命の御神像が納められているそうです。こちらの獅子神様はお歯黒をしていますから雌獅子になります。波除神社には、本社とこの弁財天社の2種類の御朱印があります。

また、弁財天社の横にある丸い塚は「玉子塚」です。東京鶏卵加工業組合が奉納したもので、このほかにも活魚塚、鮟鱇塚、海老塚、すし塚、昆布塚など多くの塚が建立され、それぞれの記念日には供養祭が行われています。
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本社の祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。穀物の神様です。お稲荷様として広く信仰されていますが、ここ波除神社では神社の由来により、波除様と尊称されています。珍しい唯一神明造のお社。大棟の上に突き出した千木の先端が、鋭角に下を向いている外削ぎです。なにしろ波の荒い海の中で発見された神様ですから、女神より男神のほうがしっくりくる感じがします。

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神様の前に立つと緊張しますね。

社殿の横の社務所に行って御朱印をいただくため、御朱印帳を預けました。引き換え番号1番。わたしの前に何人も待っていらっしゃいました。外国人観光客やお子さん連れなど、大勢の人がお参りに来ていました。
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神社で重陽の節句の体験ができるとは思っていませんでした。3月3日が桃の節句なら、9月9日は菊の節句です。上田秋成の『雨月物語』菊花の約(ちぎり)の話で、赤穴宗右衛門が霊魂となって義兄弟の丈部左門に会いに来た日としても知られます。

重陽の節句に酒の上に菊の花びらを浮かべて飲むと長寿になると言い伝えられています。波除神社では、加賀の菊酒「菊しずく」に本物の菊を散らした菊酒を振る舞っていました。この加賀の菊酒は、菊の花びらを浸した水で仕込みをするのだそうです。

菊パワー倍増ですね。ありがたくいただきました。
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茱萸嚢(しゅゆのう)と菊の着せ綿も再現していました。右下の赤い袋に花を束にして入れてあるのが茱萸嚢です。これも初めて見ました。珍しい。

茱萸嚢(しゅゆのう)
平安時代の宮廷では「菊花の宴」を催す際に、中国の故事から災厄を除くものとされ、御帳台の柱にかけられました。茱萸嚢とは呉茱萸の実を緋色の袋に納めたもので、無病息災を願い重陽の節句に飾られ、端午の節句に薬玉と差し替えられる習わしでした。
菊の着せ綿
重陽の日に菊の花に植物染料で染めた黄色の真綿を被せ、明くる早朝に朝露を含んだ綿を菊より外し、その綿で体を拭えば菊の薬効により無病であるという。

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波除神社は多くの神様を祀っています。摂社の弁財天に次いで、末社に天照大神(あまてらすおおみかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の四神がいらっしゃいました。こちらも忘れずにお参りしました。
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お稲荷様といえばおきつね様ですね。赤い前掛けは氏子のどなたかが途絶えることなく取り換えているそうです。かわいらしい。
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これは獅子殿の横にある天水桶です。江戸時代、町中に常設されていた消防用の防火用水と桶です。これについては波除神社のサイトにもとくに説明はなかったので、かえって気になります。纏の絵が描いてありますがそんなに古いものではないような気がします。関東大震災後、波除神社と獅子神様を火災から守る意味で奉納されたものかもしれません。そういえば浅草寺の天水桶は築地の魚河岸講が奉献したものでした。なにか関係があるのでしょうか。
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波除神社の御朱印をいただきました。

重陽の節句1日限定で黄色い菊の印が押してあります。五節句全部集めるのも素敵ですね。

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こちらは弁財天の御朱印です。

お歯黒獅子の印が押してあります。

波除神社では毎月7日に七福神の御朱印を書き置きで授与しています。1年間に七福神全部を集めると、記念品がいただけるとか。

築地場外市場でお食事・お買い物の前に、まめに波除神社をお参りして、期間限定御朱印コンプリートをめざすのも楽しいですね。

波除神社に奉納された数々の塚や碑、おきつね様の前掛けに至るまで、築地市場の人々が大切にお守りしてきた、生活の一部のような、身近な神様であることがひしひしと伝わってきました。

実は築地場内にもうひとつ神社があります。こちらは魚河岸の安全を一段高いところから見守っているかのような、波除様が生活の一部だとしたら、市場人の心の拠り所のような神様がいらっしゃいました。

第4章【築地場内】魚河岸水神社遥拝所 に続きます
お祭りや節句のお祝い、期間限定のお守りや御朱印など、詳しくは波除神社のホームページをごらんください。

※波除神社公式サイト
http://www.namiyoke.or.jp/index.html

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