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【築地場内】魚河岸水神社遥拝所と映画「日本侠客伝 関東篇」

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前回の築地の波除神社で重陽の節句を体験する、からずいぶんと間があいてしまいましたが築地散歩の続きです。

築地には波除神社ともうひとつ、場内に魚河岸水神社遥拝所がありました。実はここ、いろいろ調べるとおもしろそうな場所なんです。残念ながらわたしの体力が回復していませんので、図書館に行って調べることができませんでした。まあ、警察犬のようなわたしの嗅覚がですね、ここ掘れワンワンと教えてくれています。いつか調べてまとめることができたらいいなと思っています。今回は簡単な紹介ということでご容赦ください。

築地場内に市場橋門から入ると左側に地図があります。くわしくて分かりやすいですね。
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前回書いた波除神社から海幸橋門を通れば水神社は目と鼻の先でした。近い。
魚河岸水神社遥拝所
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扁額
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参道と鳥居
拝殿は小高い丘みたいな、階段を登った上にあります。下には魚がし横丁の飲食店街が連なっていて、ちょうど真横に牛丼の吉野家の第1号店があります。

まずは明治維新後海軍発祥の地となったゆかりを記す「旗山」の碑が迎えてくれます。参道には門がついていて堅牢な雰囲気です。水神社の由来が書いてありますので読んでみましょう。

魚河岸水神社 遥拝所 由来
「水神社(すいじんじゃ)」の歴史は古く、天正18年(1590)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命(みずはのめのみこと)」を祀った「大市場公益神(おおいちばこうえきしん)」がその始まりといわれています。
明治34年には神田明神の境内に「水神社」本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し現在地に遥拝所が建立されました。
以来、築地魚市場の守護神として「水神さま」とお呼びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。
この場所は、江戸時代は松平定信庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥のゆかりを記す貴重な史跡です。
尚、毎年2月には神田神社境内の水神社拝殿、御参拝が行われています。また遥拝所でも1・5・9月の年3回神事が執り行われています。

こういうのを読むとですね、森孫右衛門って誰? 大市場公益神って何? って江戸時代の人や物事が気になっちゃう。そこから、関東大震災後に日本橋から築地に移転するときは何があったんだろう?

波除神社がすぐそばにあって、魚河岸会の碑も波除神社にあるのに、わざわざ水神様をここに遷座したのはなぜだろう?日本橋から築地に移転してきて、遥拝所を作った魚河岸の人々の思いはどんなだったんだろうか。そんなことをね、考えちゃうわけです。

たぶんわたしの疑問は調べれば解けます。思うように体が動かないのがつらいとこです。
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手水舎
きれいに手入れされた手水舎です。
市場のみなさんがこの場所を大切にお守りしていることが伝わってきます。
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狛犬。阿形。頭に丸い宝珠を載せています。
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吽形。こちらも頭に宝珠をのせていますね。ころころと太ってかわいらしい狛犬です。

狛犬、全然詳しくないんですけど宝珠って、一言でいうとすごく縁起がいい玉なのです。それをこの狛犬は両方とも頭に載せています。狛犬って頭に何も載せていないのもいますし、一般には阿形はなにも載せてなくて、吽形が角を載せてるのが多いとされています。しかし江戸時代の『諸職図鑑』という文献が間違えたせいで、阿形に角、吽形に宝珠を載せた狛犬が多数作られたという説もあり、悩ましいところなのです。しかし、宝珠を2体揃って頭に載せている狛犬が珍しいことに違いはありません。

そして狛犬の台座の裏を見たら「魚がし會 昭和十 年 四月吉日」と書いてありました。ますますこの狛犬が作られた年代が気になります。想像に過ぎませんが、この狛犬がもし後世に作り替えられたものだとしても、日本橋の魚河岸水神社にあった狛犬の姿を再現していると考えたほうが自然な感じがします。
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魚河岸水神社拝殿
こじんまりとしていますが掃除の行き届いたきれいなお社です。しっかりした天井があるんですね。

手水を使って二礼二拍手一礼でちゃんとお参りしました。波除神社に御朱印をいただきに参られた方はぜひこちらの水神社にもお参りしてほしいと思います。

波除神社の主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)つまりはお稲荷様でした。穀物と農業の神であり、五穀豊穣、商売繁盛を祀る田の神です。しかも波除様は海で発見されました。魚河岸水神社の祭神は弥都波能売神(みづはのめのかみ)、水の神です。稲を育てるのは水です。築地市場は場外に田の神がいて、豊作と商売繁盛を、場内には大漁を祈願し、船の安全を守る水の神がいらっしゃる。築地市場全体が食と水、陸と海、両方の神様が揃ったとんでもないパワースポットだったのです。

豊洲新市場に築地場内が移転したら、この水神様も遷座し、氏神様も波除神社から富岡八幡宮に移るのだそうです。

んんん、もったいない…。

入院中にAmazonビデオで「日本侠客伝 関東篇」という映画を見まして、これが日本橋から築地に魚市場が移った翌年の話なんです。
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本作での高倉健さんは船の機関士であってヤクザではありません。しかも酒好きで船に乗り遅れる常習犯。船に置いて行かれて困っていたところ、飲み屋で出会った長門裕之の紹介で、築地市場の問屋「江戸一」で働くことになります。江戸一は南田洋子が先代の父から譲り受け、妹の藤純子と2人で切り盛りしていましたが経営は火の車です。東京魚市場協同組合理事長と石津組のヤクザが、組合に入れ、入らなければ店を潰すといやがらせに訪れる毎日。そこにかつて南田洋子と恋仲だった佃勝組のヤクザ鶴田浩二が帰ってきます。
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マキノ雅弘監督、高倉健と鶴田浩二の共演、北島三郎の歌、丹波哲郎や大木実、待田京介など豪華な共演陣とみどころの多い映画です。とくに、焼津の網元・丹波哲郎から仕入れた魚の河岸上げを前に、組合理事長の郷田が、東京市の水産局長への電話一本で、突如河岸を閉鎖してしまうシーンから一気にクライマックスへと盛り上がります。最初は組合理事長や石津組に従順だった魚河岸の労働者である小揚組合員たちが、目の前まで来ている焼津の魚を腐らすわけにはいかないと一斉に蜂起するのです。実はその魚は小揚組合のお金で買ったものだったのですが、小揚は舟から魚を河岸上げし、問屋に運ぶのが仕事ですから、それを理由なく妨害されるということは許せないわけです。また、丹波哲郎に「のんき坊主」と呼ばれていたとっぽい兄ちゃんだった高倉健が、やむにやまれぬ理由から、ドス持って鶴田浩二と二人で殴り込みに入る、そのあたりはお約束の痛快任侠スタイルです。

「昭和残侠伝」のようなヤクザ対ヤクザの美学ではなくて、この映画のヤクザは魚市場共同組合理事長に遣われていて、さらに東京市の水産局長は組合理事長から賄賂を受け取っているという巨悪に対し、たったひとりの伝説のヤクザが市場の労働者と共に味方となって戦うという構図です。おまけに東京市の水産局長が汚職で逮捕されるという新聞記事つきです。

なんだか、豊洲新市場問題と重ねて考えてしまいます。東京都のお役人はあれだけでたらめなことをやって誰一人逮捕者を出していない。それどころかだれも責任を取ろうとしない。都知事までが逃げ出そうとしてるんですから。

そうそう、鶴田浩二さんが演じた江島勝治は佃勝を名乗っています。おそらく明治・大正時代の侠客佃政こと金子政吉親分をモデルにしていると思われます。佃政親分が日本橋から築地へ魚河岸が移転したときのキーマンだったのはまちがいないでしょう。水神社とも何か関係があるかもしれません。

そんなことを考えながら水神社を後にしたわたしでしたが、この後ふるえるような素敵な出会いが待っていました。水神様のご利益マジ半端ないです!
第5章 築地場内墨田書房へ続きます。

築地場内の墨田書房で『築地魚河岸ブルース』の沼田学氏に会う

※「日本侠客伝 関東篇」の画像は全てAmazon primeビデオから

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