音楽

米津玄師「パプリカ」の意味を考えて泣く【東日本大震災】

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米津玄師さんのパプリカという曲、Foorinのかわいらしい歌や踊り、子どもたちがこの曲を聴くと自然と歌い、踊りまわる姿に、わたしは完全に子ども向けの、ちょっとノスタルジックな現代の童謡ととらえていたんです。でも、この曲にはとんでもない意味が隠されていました。それはツイッターで流れてきたある投稿を読んで気づかされました。わたしはそれから涙がとまらなくなってしまい、パプリカの歌詞の意味を考え始めました。さて、ここからはなるべく重ならないようにわたしが読み解いたパブリカを説明していきます。そしてそれは、米津玄師VerのMVのアニメーションと曲が一体化したすばらしい作品になっていました。

米津玄師さんのMV「パプリカ」をYouTubeで見てみよう

このMVからインスパイアされた記事を続けて読んでみましょう。もう、無邪気でかわいいパプリカの世界には戻れなくなってしまいます。涙なくしてパプリカは聞けなくなってしまうと言っても過言ではない優れた考察です。

けさNHKのスポットCMで「パプリカ」を見たときに思ったのは、ああ米津さんのこの歌は、本当は岩井俊二の「花は咲く」への返歌なんだろうなと。2020年応援ソングってのは、オリンピックのことなんかじゃなくって、2011年の東日本大震災の被災者への、8年後の祈りの詩だと感じました。

そう思ってね、米津さんバージョンのPVを探して観てみると、やはり舞台は海辺の町なのでした。(中略)彼岸花のあの川を渡って会いに行くのはあの日失われたあの子たちの魂にだ。その時私たちは“手にいっぱいの花”を抱えていこう、それこそがあの子たちが最も喜んでくれることだから。そして「この指とまれ」はあの子たちの鎮魂にみんなも参加して下さいってことだね。

赤いマントの子供は大人たちには見えてすらいない。

パプリカの花言葉は「君を忘れない」。

もう、号泣ですよ。わたしパプリカ聴きながらしゃくりあげて泣きました。

でも、少し考えていたら私の解釈はまた違うんです。米津玄師さんが東日本大震災で犠牲になった子どもたちを思い浮かべてパプリカを作詞されたのは首肯するんですけれど、たぶん原発事故のことはあえて歌詞に含んではいないのではないか。それは、これからの願いとして残っていていて、この歌の背景にあるのはもっと悲惨な事件だったのではないか、もしかしたら米津玄師さんはその現場を訪れたのではないかと思うのです。

パプリカの歌詞を読む

曲りくねり はしゃいだ道
青葉の森で駆け回る
遊びまわり 日差しの街
誰かが呼んでいる

冒頭の4行で、わたしはこの舞台は宮城県石巻市だと思いました。震災の前の平和な光景です。子どもたちが親しんだ石巻の港か、北上川の水面か、キラキラ光る日差しの町で遊んでいます。日和山公園へ上がる道かもしれません。子どもたちはいつも遊んでいた曲がりくねった道を抜けて、山へ逃げていたら、みんな助かったかもしれない。

夏が来る 影が立つ あなたに会いたい
見つけたのはいちばん星
明日も晴れるかな

ここから現代に飛びます。季節は夏。MVに花火大会の様子が描かれていますが、お盆で亡くなった兄弟姉妹か、友だちのことを思い出します。暗くなるまで一緒に遊びまわって、宵の一番星をみつけたね。もっと遊びたかったね。明日も晴れて遊べるかな。遊びたかったね。

この次からサビになるのですがちょっと飛ばします。

雨に燻り 月は陰り
木陰で泣いてたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる

ここから雰囲気が一転して子どもたちを悲劇が襲います。「一人一人 慰めるように」子どもはひとりではありませんでした。「誰かが呼んでいる」自分の名前を誰かが呼んでいるのは聞こえています。でも誰だろう? お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、近所のおじさん、警察官? 自衛隊の人かもしれません。でも、暗い中木陰で濡れたまま泣いているのです。この子は助かったのでしょうか?

パプリカは大川小学校の事件で犠牲になった子どもたちのことではないか?

東日本大震災時の石巻市立大川小学校の悲劇をここでふりかえってみましょう。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が本震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。

この結果、河口から約5kmの距離にある学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。その他、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も死亡している。

学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては戦後最悪の惨事となった。

本震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り全員の安否を確認したのちに、避難先について議論を始めた。学校南側の裏山に逃げた児童たちもいたが、教諭に「戻れ!」と怒られ、連れ戻された。


校庭のすぐそばには裏山を登るための緩やかな傾斜が存在し、児童らにとってシイタケ栽培の学習でなじみ深い場所である裏山は有力な避難場所であったが、大勢の子供や高齢者がいることに加えて、悪天候(降雪)により足場が悪く、未曾有の大地震の直後のため土砂崩れ・地盤沈下・倒木・落石などの可能性もあることなどから、登って避難するには問題があるとされていた。

Wikipedia

児童74名が死亡しましたが、奇跡的に救出された4名がいたことはあまり知られていません。そのうちの一人で、当時小学5年生だったTさんは現在大学生になり、「語り部」として大川小学校の悲劇を他県から来た中高生に伝える活動をしています。残念ながら旧大川小学校の近くは居住できず、校舎も合併されて跡形も残されていません。

また、 児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し損害賠償を求める民事訴訟を起こし、2019年10月に最高裁への上告を棄却し、2審の仙台高等裁判所判決が確定しています。これにより、賠償総額20億円を超える支払いが確定しました。

さて、パプリカに話を戻します。パプリカって中に種が沢山あります。あの種ひとつひとつが大川小学校を襲った北上川を遡上した津波で亡くなった子どもたちの魂が寄り添いあっている姿だとしたら。パプリカの花が咲いて、種を蒔いて得られる果実は、子どもたちの魂の転生を意味しているのではないでしょうか。子どもたちだけではありません。震災によって奪われた海の魚やクジラ、山の動物、東日本大震災によって奪われた生きとし生けるものすべての魂の転生を願い、「君を忘れない」と思いを馳せる象徴、それがパプリカなのです。

Foorinは風鈴にあらず?

パブリカで紅白歌合戦にも出場したパプリカを歌う子どもたちのユニット”Foorin”ですが、この子たちも米津玄師さんのプロデュースです。当然歌詞の意味とリンクしていないはずがありません。MVに登場する赤いマントの子どもは、大人たちには見えませんでした。それどころか赤いマントを翻し、入道雲の上まで縦横無尽に駆け上がることができます。空のブランコを大きく漕いで、風を起こします。そしてパプリカの実を持っています。

”Foorin”は衣装に赤いものを身に着けていることから、すでに亡くなった子どもの姿とみることもできますが、赤は日本では魔除けを示す色でもあり、彼らはあの世とこの世を結ぶ、妖精のような、神仏のお使いくらいの存在と考えます。”Foorin”をあえて漢字で書くとすれば「風輪」、風の輪です。輪は輪廻転生の「輪」。子どもたちがみんなで踊って巻き起こす風の輪。風を吹かせることによって、この世の人に、あの世のものが自分の存在を知らせる。”Foorin”は歌と踊りでそれをリードしてくれています。

パプリカの曲を聴くと、一般の子どもたちがいきなり踊りだしたり、歌いだしたりするのが、大人にとっては不思議で、ちょっと不気味に感じる人もいるようです。でも、子どもは無意識に米津玄師さんの願いを受け取っているのかもしれません。子どもは一緒に風を起こして「君を忘れないよ」と歌ってくれる、純真無垢な妖精たちなのです。

パプリカの歌詞に戻ってみる

さて、置いておいたサビの歌詞を見てみましょう。

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ

パプリカは魂の象徴と言いました。そのパプリカの花が咲いて実が熟したら、晴れた空にパプリカの種を蒔こう。転生までの準備が整ったら、大川小学校の事件で亡くなった74人の子どもたち全員の魂を再生させよう。早く生まれ変わっておいで。ようやく津波というつらい経験を乗り越えて新しい夢を描いた。真っ先に君に伝えたいよ。なんとなく「語り部」のTさんを思い出します。

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ
かかと弾ませこの指とまれ

生きている者の思いが亡くなった「あなた」にとどいたら「かかと弾ませこの指とまれ」 幽霊には足がない 、かかとがあるということは足がある。人として蘇り、この指とまれ。一度は離れ離れになってしまったけれど、きっとまた会おうね。そんな感じでしょうか。

この歌はあくまで子ども向けに書かれてはいますが、その世界は非常に現実的で、しかもハッピーエンドでもあるのです。

まとめ

米津玄師さんの「パプリカ」は、現代と過去、この世とあの世、故郷ともう戻れない日々、人が人を思う気持ち、それらいろいろな思いが込められた歌詞を小学校の低学年の子どもたちにもわかりやすく伝える非常に優れた曲だと思います。

わたしが唱えた大川小学校説は読みすぎかもしれませんが、学校防災の上で決して忘れてはいけない悲劇です。そしてその悲劇の中から奇跡的に救出されたTさんが、震災の「語り部」として新たな道を歩み始めたのも事実です。わたしたちは決して何年経とうとも東日本大震災を忘れてはいけないのです。

昨年末、女川原子力発電所第二原発について、原子力規制委員会が新規制基準への適合を認めました。大川小学校の子どもたちが、生まれ変わったとき、彼らの故郷はどうなっているのでしょうか。

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